5月14日土曜日。震災後はじめて東北新幹線に乗車して岩手に向かいました。
私の故郷は岩手県の中南部にある北上市です。
4カ月前から入院している母を見舞うための帰省が、やっと叶いました。
東京駅を出発し、大宮、宇都宮、郡山、福島、仙台、栗駒高原、一関、水沢江刺、そして北上。
新幹線の車窓からは、田植えをする農家の人の姿や、新緑が美しい山並が見えました。それは意外なほどうららかな、懐かしい東北の春の風景でした。
東北新幹線は、内陸部を北上して青森に通じています。ですので、今回大きな被害を受けた沿岸部からはずっと離れて走っています。
それでも、窓外にじっと目を凝らしていると、崩れた瓦屋根がそのままになっている家をたくさん見つけました。また、仙台駅の手前では、架線あとの広い土地に被災者用であろう仮設住宅が建設されていました。
東側の空のその下には、大津波が襲ったあの海岸の町々があるのだ。そう思うと胸がギュッと締め付けられました。
岩手県北上市は、内陸部ということで沿岸部ほど甚大な被害は受けませんでした。
私の母は、地震前も後もずっと病院に居りましたので、停電や出水制限も比較的早い時期に改善されました。無事であるという知らせは受けていましたが、それでも心配でした。
病室で母の姿をじかに見て、やっと安心することが出来ました。
北上市の隣の花巻市には温泉がたくさんあり、その一つに大沢温泉という老舗旅館があります。父の友人が営んでいた宿で、私達家族は昔からよくそこに出掛けていました。
母の見舞いの後、久しぶりにその大沢温泉を訪れると、そこで思いがけず被災地から避難している方にお会いしました。大沢温泉の自炊部は、沿岸の町・大槌町の避難所になっていたのです。
温泉の休憩所で、一人のおばあさんが私に話しかけて来ました。
その方は、大槌町でずっと種苗店を営んでおられたそうですが、店も家も今回の津波で流されてしまったそうです。それでもたった一人の家族である息子さんは無事だったそうで、「幸運だった」と話してくださいました。
「私なんかはしんどくないほうなんだべなぁ…。温泉さ避難さしてもらって、お湯は自由に使えるし、食事だって出してもらえるし。んだども、もう2カ月だべ。知らねえ人と相部屋で、気が合わねえ人だって混じっているし。私は年寄りだから朝が早えんだ。でも、朝早く起きると嫌な顔されたりなぁ…」
初めは明るく話してくれていたおばあさんでしたが、だんだん声が沈んできて、私はただただ頷いて話を聴くことしか出来ませんでした。
のどかな田園風景、新緑の山並み、清流の清らかな川音、鶯のさえずり…。東北の春は今が一番の盛りです。一方で、その地には、地震によって人生を大きく狂わされ、大変辛い思いをしている人々が沢山いる。
自然の恵み豊かなこの故郷で、皆が平穏に暮らせる日が早く戻って欲しい。
様々な事を感じた、短い帰省の旅でした。