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許されざる者

 こんにちは。ほっとハートの阿部克彦です。

 少し前の話になりますが、去る5月2日、国際テロ組織アルカイダのリーダーで、2001年アメリカ同時多発テロの首謀者とされているオサマ・ビンラディン容疑者が潜伏先のパキスタンでアメリカ軍の特殊部隊によって殺害されるというニュースがありました。

 あの衝撃的なアメリカ同時多発テロからもう10年。時が経つのははやいものです。

 あれからアメリカは2001年のアフガン攻撃、そして2003年のイラク戦争という、「テロとの戦い」に進んでいきました。

  アメリカ政府はビンラディンが同時多発テロにどう関わっていたか明確でないまま、そのビンラディンをかくまっていたといわれるアフガニスタンのタリバーン政権を攻撃。さらに2003年にはイラクが大量破壊兵器を所有しているという理由で、国連の査察でも大量破壊兵器が見つからないにも関わらずイラク戦争に突入。

 同時多発テロをアメリカ政府は「アメリカに対する戦争行為」と認定して、アフガン攻撃やイラク戦争はその報復として行われたことは否定できない事実のようです。

 その結果、中東をはじめとする様々なイスラム系国家の人々は反米的になったといわれています。

 ひとつの暴力が報復という新たな暴力を生み、暴力の連鎖が続いていく…。

 当時のアフガン攻撃の様子やイラク戦争に突入するまでの経緯をニュース番組等で見ていた私は、言いようのない違和感や釈然としない感覚を覚えると共に、「この展開はどこかで見たことがあるなぁ…」という想いがありました。

 それは一連の経緯が、特に「暴力の連鎖」という点においてある映画の内容にとても似ていると感じたからでした。今回はその映画をご紹介したいと思います。

 今回ご紹介するのは、クリント・イーストウッド監督の『許されざる者』1992年の作品です。

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 1880年ワイオミングのビッグウイスキー。ある娼婦が2人組みの客の一人にナイフで顔を切りつけられる事件が発生。一生残る傷を負わされ、仲間の娼婦達は厳罰を望むが、客は普段まじめに働いているカウボーイであることから保安官のリトル・ビル(ジーン・ハックマン)は軽めの罰で決着させる。これに不満を抱いた娼婦達は2人の客に1000ドルの賞金を懸ける。

 かつては極悪人だったが亡き妻との出会いで改心し、今は農夫として2人の子供と暮らしているウイリアム・マニー(クリント・イーストウッド)。しかし生活は苦しく、家畜たちは次々と病気になる中、ある日若いガンマンのキッド(ジェイムズ・ウールウィッド)に娼婦たちが懸けた賞金稼ぎの話を持ちかけられる。生活のため再び銃を取る決意をしたマニーはかつての仲間ネッド(モーガン・フリーマン)を加え、3人で町へ向かう。

 一方町では賞金稼ぎの狼藉を警戒したリトル・ビルが徹底的な銃規制を敷く。そこへ悪名高い賞金稼ぎのイングリッシュ・ボブ(リチャード・ハリス)がやってくるが、リトル・ビルに銃を取り上げられた上、公衆の面前で叩きのめされる。それは自分がいる限り町の治安を犯すものは許さないというリトル・ビルのメッセージであった。

 亡き妻のおかげで真人間になれたが、かつてのように再び悪事に手を染めようとしていることに葛藤するマニー。自分は最低の極悪人だったという過去から逃れたいが、犯した罪の記憶に悩まされ続けている。 

 暴力と恐怖で町の治安を守ろうとするリトル・ビルと、生活のために再び銃を取った伝説の悪党マニー。両者の対決の時は迫っていた…。

 

 物語はリトル・ビルとマニーの2人を中心に進んでいきます。両者とも自分の立場や生活を守るために行動します。

 リトル・ビルの行動はあくまでも保安官としての職務を遂行するためのものですが、やり方に問題があります。一方のマニーも子供達の将来のためお金が必要とはいえ賞金稼ぎ、つまり人を殺してお金を稼ごうとします。こちらもとても肯定できるものではありません。

 しかしそれぞれの立場から見るとその行為は自分の側には利益となる行為であり、いわば自分にとっての正義といえる訳です。自分の側の視点で見れば正義ですが、対立する立場や第3者からの視点で見ればそれはとても正義とはいえません。

 この映画でのリトル・ビルとマニーの立場は、冒頭で書いたテロや戦争の当事者達にも当てはまるのではないでしょうか?もちろん自国の国民が犠牲になり、加害者をそのままにしておく訳にはいかない事情もあるでしょうし、国民を守るために行動しなければならないこともわかります。 

 ただ私が思うのは「他の方法はなかったのだろうか?」ということなのです。

 リトル・ビルやマニー、そしてテロや戦争の当事者達に共通しているのは、暴力で問題を解決しようとしていることです。

 暴力で相手を黙らせたとしてもそれは力づくで屈服させただけであり、納得して従ったわけではありません。暴力を振るわれた側は、心に何がしかの不満を持つでしょう。それが新たな暴力を生みかねません。暴力に頼る限り、問題の真の解決はありえないのではないでしょうか。

 鬼保安官のリトル・ビルも、普段は大工仕事を愛する陽気なオヤジだし、マニーも亡き妻を想い続け、子供の将来を案じる心の優しいところもあります。どんな人間にも欠点はあるものですが、それを補う長所も必ずあるはずです。

 それぞれの異なる立場、それは最終的には交わることもなく、理解しあえないものかもしれません。それでもお互い暴力に頼ることなく対立を回避し、問題を解決する方法はないのでしょうか。それぞれの長所を活かし、知恵を出し合い共存する道はないのでしょうか。

 アメリカから最大の敵とみなされていたオサマ・ビンラディンにも人間らしい素朴な一面はあったはずです。彼はもともとサウジアラビアの資産家の息子で、旧ソ連に侵略されたアフガニスタンを守るため、ひいては外国の侵略からイスラム社会を守るため、大量の資金を投入したそうです。その戦いに参加する志願兵を募る事務所が後のアルカイダになったそうです。

 ビンラディンはどのような想いでこの10年間を過ごしていたのでしょうか。彼は同時多発テロにどのように関わり、どのような世界になることを望んだのでしょうか。彼自身の口から真相が語られる可能性がなくなってしまったことは本当に残念です。

 そして暴力の連鎖は止まることなく今後も続いてしまうのでしょうか。

 私のなんともいえない違和感や釈然としない感覚はまだ消えません。

 それではまた次回も私の心に残った作品を紹介したいと思います。 

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テーマ:映画   2011/07/07   阿部

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