ほっとハート 心の健康づくり推進会

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東北被災地訪問 Part2

2011年12月11日(日)

宮城県南三陸町歌津町・泊崎仮設住宅 ~訪問記録~ 

 

10月に引き続き、再び宮城県南三陸町歌津町「泊崎仮設住宅」を訪問してきました。

今回も早朝5時に都内を出発。グッと冷え込んだ朝でした。都内を抜けるころには日が昇り始め、美しい朝焼けを横に見ながら、一路北を目差します。

東北自動車道・一関ICを降りて、前回も視察した気仙沼に向かいました。

順調に田舎道を運転し、気仙沼の家並みを抜けて港方面に進むと、突然、警察官が道路の中央に立って交通整理をしています。その交差点から先は、まだ電気も道路も整備されていない地域。信号機もまだ動いていません。前回見て分かっていたはずなのに、再び『津波が押し寄せた境界線』を目の当たりにして、胸がギュッと痛くなりました。

宮城県は「選択と集中」という方針を掲げ、重要な60か所の港で優先的に復興を進めると発表しました。気仙沼も水産業の重要拠点として、これから徐々に岸壁や水産工場地区の整備が進められます。車でぐるっと港湾地区を回りました。まだ、岸壁が沈んだままだったり、工場が傾いたままだったりしますが、2カ月前よりも瓦礫が更に撤去され、まだ舗装はされていませんが、通り抜けられる道がかなり広がっていました。

港近くの一画に「復興屋台村・気仙沼横町」ができていました。飲食店や水産加工食品を売る店が10数店舗営業しています。お店の方々が、地元で捕れた物、作った物を少しでも購入してもらおうと頑張っていらっしゃいました。

次に、歌津町の泊崎仮設住宅を訪問しました。

仮設住宅に住むTさんと、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんから、仮設住宅での生活について色々お話を伺いました。今一番困っている事は『お風呂の追い炊きが出来ない事』。冬の風呂はすぐに湯冷めしますから、追い炊き出来ないユニットバスはとても不便なのです。部屋の片隅のテーブルに、ご位牌が一つ置かれていました。瓦礫の中から幸運にも見つかった、ご先祖様のご位牌だそうです。「おやじの位牌は見つからなかった。でも写真は見つかったよ」とお祖父ちゃんが教えてくれました。「また家を建てたいんだ。じいさん、ばあさんを仮設住宅で死なせるわけにはいかないから。」と、Tさんは話して下さいました。仮設住宅ではなく、自分の家で両親を暮させたいと思っていらっしゃるのです。歌津町では高台に住居用の土地を確保する案が出ているそうです。12月17日に市から説明があるとのことで、将来の展望が少しずつですが見え始めているようです。

歌津町の主産業である漁業についても、船を自力で購入して漁を始めている方や、漁協組合で船を手配する予定が立つなど、徐々に環境が整いつつあるようです。港には帆立て加工場も新たに建てられていました。

漁が再開出来る、また家を建てて仮設住宅を出られる日が来るかもしれない、そんな将来への希望が、Tさんを前回よりも明るく、元気にしているのだと感じました。

泊崎仮設住宅は、もともとご近所に住んでいた方々が集まって居住しています。ほとんど全員が昔からの顔なじみです。「玄関の鍵は必要ないのさ。誰々の家ってみんな知ってっから」とTさんは笑いました。家の中で過ごすことの多いお祖父ちゃん、お祖母ちゃん達にとって、顔見知りに囲まれて暮せていることが何より安心だとおっしゃいました。大きな仮設住宅では、様々な地域から寄り集まって暮している所もあり、住民同士のいざこざも多いと聞きます。泊崎仮設住宅の皆さんの明るく温かい雰囲気は、昔から知っている人達に囲まれている安心感がからくるのだと思いました。

「遠いところ何回も来てくれて有難うね」と、お婆ちゃん達が手を握って下さいました。夕方4時過ぎ、皆さんに見送られながら、暗くなり始めた仮設住宅を後にしました。

 

激動の2011年過ぎ、新しい年が始まりました。東北の復興の道は、まだまだこれから。やるべき事も山積しています。

仮設住宅に住む皆さんにとって、今年一年が実り多いものになって欲しいと、心から願っています。

あとで読む
 
テーマ:感じていること   2012/01/06   片岡

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