今回ブログを担当します阿部です。よろしくお願いします。
私はこれまで感銘を受けたり、影響を受けたりした映画や本などを紹介していきたいと思います。
東日本大震災の発生から2ヶ月以上が経ちました。
直接被害は比較的少なかった東京でもこの2ヶ月あまり、いろいろな影響がありました。
私自身もいろいろなことを考えました。
その中でふと思い出した映画がありました。今回はその映画をご紹介しようと思います。
テリー・ギリアム監督の『フィッシャーキング』1991年の作品です。
過激な毒舌で人気のラジオDJジャック(ジェフ・ブリッジス)。
ある日、ラジオ番組での彼の不用意な発言に触発された男性が、銃乱射事件を起こしてしまいます。
その事件によって職を失ったジャックは自堕落な毎日を過ごしていました。
ある夜、酒に酔って町をさまよっていたジャックは、暴漢に襲われてしまいます。
あわや、というところでパリーと名乗るホームレス(ロビン・ウィリアムス)に助けられ、
彼が暮らすボロアパートのボイラー室で一夜を過ごします。
翌朝、アパートの管理人からパリーが件の銃乱射事件の被害者であることを聞いたジャックは、
罪の意識からパリーの力になりたいと思うようになります。
ジャックは罪の意識を感じるものの、できることなら罪の意識から逃れたいと思っています。
そんな利己的な贖罪意識から、何かとパリーの世話を焼くようになります。
はじめはジャックの親切を喜ぶパリーですが、ジャックが良かれと思った行動が、
パリーの予想外の反応を引き出してしまいます。
利己的な贖罪意識からの善意だったものの、パリーの新たな幸せにつながると思った矢先、
その善意が裏目に出てしまう結果になります。
どん底の状態に逆戻りしてしまったパリーのため、ジャックは起死回生のある行動に出るのですが…。
傷ついた人を元気付けたい、何かしてあげたい、それは善意から出た思いでも、
それが本当にその人のためになるのか?余計なお世話となって結果的にその人を余計に苦しめる結果になりはしないか?いろいろと考えさせられます。
まして、全てを失い人生がひっくり返るほどの絶望の最中にいる人にとって、第三者ができる事が果たしてどのくらいあるのでしょうか。
絶望の最中にある人が再び立ち上がろうとするためには想像を絶するエネルギーが必要になると思います。
そして、そのエネルギーが満ちるまでの時間もまた必要になると思います。
一見無為に思えるその時間こそが傷を癒してくれる唯一の方法かもしれません。
しかし、それでも世の中は休まず動き続け、命がある限り人生は続いていきます。
第三者ができることは、余計なお世話にならない程度のサポートを焦らず根気よく続けていくことなのだと思います。
それを実行するには、もし自分がその立場だったら?という共感の気持ちが欠かせないと思います。
震災のニュースを見るたび、そのようなことをいろいろと考え、
この映画のことを思い出したのです。
震災のニュースを見る度、何かと悲観的になりがちでしたが、この映画を観ると、
「人生そう捨てたものじゃないのかもしれない」という気分にさせてくれました。
そんな少しほっとするラストです。
また、この映画の登場人物は皆ひとクセもふたクセもある人ばかりで、
カウンセラー目線で彼らの内面やパーソナリティについて考えるのも楽しいと思います。
ではまた私の心に残る作品を紹介したいと思います。