ほっとハート 心の健康づくり推進会

スタッフ♡ブログ

ほっとハートスタッフによるブログです。

育メンパパの聞くコツ&理想の家族を描こう」講座

昨日(2012年2月18日)、「育メンパパの聞くコツ&理想の家族を描こう」講座を開催しました。

場所は、ほっとハートが毎月1回講座を開催させていただいている、神奈川県川崎市にある「おいでおいでルーム」さん。

参加していただいたお父さん方が、家族のことを真剣に思っている姿が感じられ、「日本もまだまだ捨てたもんじゃないな」なんてことを感じちゃいました。

参加者を集めていただいき、昼食のお弁当も作ってくれた、おいでおいでルームの伊東先生や、今回の講座をプロデュースしてくれた、ほっとハートの石田理事長、そして、家族思いのお父さま方に、とても感謝です。

 

開催の様子は

イベント開催レポート(http://npo-hh.org/index.php/event_report/archives/30

に紹介してますのでぜひお読みくださいね。

テーマ:活動について   2012/02/19   高田

寒い~!!

毎日寒いですね。

こう寒いと、外に出るのも、億劫になりそう。

特に今日みたいに、雨だったりするとなおさらですよね。

 

運動不足にならないよう、せめて室内で、体を動かすように気をつけています。

リラクセーションの呼吸法やヨガ、チベット体操など、気軽に取り組めるのがいいですね。

体がぽかぽかしてくると、気持ちも、元気になって、能率も上がりますよ!

 

ほっとハートは、寒い中でも元気一杯!?

2月3月は、下記を予定しています。

2/18(土)  イクメンパパのコミュニケーション講座 「理想の家族を思い描こう」

2/21(火)  中原区ボランティア向け コミュニケーション講座 「きくコツ」

3/ 4(日)  交流会 エンカウンターとグループトーキング

3/14(水)  コミュニケーション講座 「ルール作りのコツ」 (日程は変更の可能性あり)

 

3/4の交流会は、どなたでも参加いただけます。

ぜひ、遊びにいらしてくださいね!!

 

                                     石田弘子

 

 

 

 

テーマ:   2012/02/07   石田

理事会

今日、2月4日は、表参道にある「ウィメンズプラザ」にて、ほっとハートの理事会。

久しぶりに理事全員が集まりました。

 

・先月開催の講座の報告

・今月開催の講座の打ち合わせ

・来月開催の交流会の打ち合わせ

・来年度の活動計画の打ち合わせ

 

など、朝10時から夕方までを打ち合わせました。

 

ほっとハートの活動がどんどん大きくなってきたので、もっと多くの人が活動に関わってもらえたら嬉しいです。

 

 

※昨日よりは寒くはありませんでしたが、それでもまだまだ寒い日が続いていますね。2月4日は暦の上では「立春」。早く春が来てほしい!

テーマ:活動について   2012/02/04   高田

東北被災地訪問 Part2

2011年12月11日(日)

宮城県南三陸町歌津町・泊崎仮設住宅 ~訪問記録~ 

 

10月に引き続き、再び宮城県南三陸町歌津町「泊崎仮設住宅」を訪問してきました。

今回も早朝5時に都内を出発。グッと冷え込んだ朝でした。都内を抜けるころには日が昇り始め、美しい朝焼けを横に見ながら、一路北を目差します。

東北自動車道・一関ICを降りて、前回も視察した気仙沼に向かいました。

順調に田舎道を運転し、気仙沼の家並みを抜けて港方面に進むと、突然、警察官が道路の中央に立って交通整理をしています。その交差点から先は、まだ電気も道路も整備されていない地域。信号機もまだ動いていません。前回見て分かっていたはずなのに、再び『津波が押し寄せた境界線』を目の当たりにして、胸がギュッと痛くなりました。

宮城県は「選択と集中」という方針を掲げ、重要な60か所の港で優先的に復興を進めると発表しました。気仙沼も水産業の重要拠点として、これから徐々に岸壁や水産工場地区の整備が進められます。車でぐるっと港湾地区を回りました。まだ、岸壁が沈んだままだったり、工場が傾いたままだったりしますが、2カ月前よりも瓦礫が更に撤去され、まだ舗装はされていませんが、通り抜けられる道がかなり広がっていました。

港近くの一画に「復興屋台村・気仙沼横町」ができていました。飲食店や水産加工食品を売る店が10数店舗営業しています。お店の方々が、地元で捕れた物、作った物を少しでも購入してもらおうと頑張っていらっしゃいました。

次に、歌津町の泊崎仮設住宅を訪問しました。

仮設住宅に住むTさんと、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんから、仮設住宅での生活について色々お話を伺いました。今一番困っている事は『お風呂の追い炊きが出来ない事』。冬の風呂はすぐに湯冷めしますから、追い炊き出来ないユニットバスはとても不便なのです。部屋の片隅のテーブルに、ご位牌が一つ置かれていました。瓦礫の中から幸運にも見つかった、ご先祖様のご位牌だそうです。「おやじの位牌は見つからなかった。でも写真は見つかったよ」とお祖父ちゃんが教えてくれました。「また家を建てたいんだ。じいさん、ばあさんを仮設住宅で死なせるわけにはいかないから。」と、Tさんは話して下さいました。仮設住宅ではなく、自分の家で両親を暮させたいと思っていらっしゃるのです。歌津町では高台に住居用の土地を確保する案が出ているそうです。12月17日に市から説明があるとのことで、将来の展望が少しずつですが見え始めているようです。

歌津町の主産業である漁業についても、船を自力で購入して漁を始めている方や、漁協組合で船を手配する予定が立つなど、徐々に環境が整いつつあるようです。港には帆立て加工場も新たに建てられていました。

漁が再開出来る、また家を建てて仮設住宅を出られる日が来るかもしれない、そんな将来への希望が、Tさんを前回よりも明るく、元気にしているのだと感じました。

泊崎仮設住宅は、もともとご近所に住んでいた方々が集まって居住しています。ほとんど全員が昔からの顔なじみです。「玄関の鍵は必要ないのさ。誰々の家ってみんな知ってっから」とTさんは笑いました。家の中で過ごすことの多いお祖父ちゃん、お祖母ちゃん達にとって、顔見知りに囲まれて暮せていることが何より安心だとおっしゃいました。大きな仮設住宅では、様々な地域から寄り集まって暮している所もあり、住民同士のいざこざも多いと聞きます。泊崎仮設住宅の皆さんの明るく温かい雰囲気は、昔から知っている人達に囲まれている安心感がからくるのだと思いました。

「遠いところ何回も来てくれて有難うね」と、お婆ちゃん達が手を握って下さいました。夕方4時過ぎ、皆さんに見送られながら、暗くなり始めた仮設住宅を後にしました。

 

激動の2011年過ぎ、新しい年が始まりました。東北の復興の道は、まだまだこれから。やるべき事も山積しています。

仮設住宅に住む皆さんにとって、今年一年が実り多いものになって欲しいと、心から願っています。

テーマ:感じていること   2012/01/06   片岡

被災地訪問 -美しい三陸の海-

2011年10月16日(日)

被災地・宮城県を訪問して来ました。

早朝、都内を出発して東北自動車道を一路北へ。

最初の訪問地は、宮城県南三陸町。津波で街のほとんどの建物が流された町。

ニュース等で有名になった『鉄骨だけが残った防災センタ-』前には、沢山の花が手向けられていました。左手には、病院建物の2階に釣り船が突き刺さったまま…。

「これでも、凄くキレイになりました。僕が初めてここに来た時には、瓦礫が道の両側にうず高く積まれていて、自衛隊の人達が沢山働いてしました。今は本当に静かになった。」今回の訪問をコーディネイトしてくれたM氏は、既に20回近く被災地を訪れています。その彼が「ここに来て見て、どうですか?」と私に問いました。

訪問した日は本当に秋晴れのすがすがしい一日で、海があまりに美しくて、海岸線沿いに連なる街々はとても静かでした。こんな美しい海が、ほんの7カ月前のあの日に、街に、人々に襲い掛ったのです。そのギャップの大きさに、私は現実を上手く受け入れらず、彼の問いに返事が出来ませんでした。

 

次に気仙沼港を訪問しました。

港の岸壁は地震のために陥没し、半分海に埋もれていました。

港近くの一帯は、水産加工工場が林立していた地域で、それら工場の建物が半壊状態のまま残されていました。そして工場の合間に沢山の民家が、倒壊して斜めに傾き、海水に半分浸かっていました。

「この家は、港のずっと奥から流されて来たものなんです。バスも自動車もそうです。」

気仙沼の港には、人々が住んでいた痕跡が色濃く残ったまま、ある建物は半分以上が崩れ、あるものは流されたままの状態で、7カ月以上野晒しにされていました。

魚の腐った匂いと、工場後の化学物質の匂いが強烈に漂っている中、かもめとカラスだけが悠々と空を飛んでいました。

「ここは、建物が残されているだけに、悲惨さが余計に迫ってきますね。」本当に胸が詰まりました。

 

今回の訪問の目的の一つは、被災者の方々からお話を聴くことでした。

南三陸町歌津町の仮説住宅の方が、私達の訪問を快く受け入れてくださいました。

歌津町は気仙沼と南三陸町の間にある小さな漁村です。

歌津崎の先端に建てられた仮設住宅に住む、漁師のTさんと、ご近所にお住まいのMお婆さんにお話を伺うことが出来ました。

 

『Tさん』

「船も家も全部流された。今、漁業組合の方でワカメの芽付けの作業を手伝ってるんだ。海の中は地震前とはすっかり変わってしまったよ。流された家やら瓦礫やらが底にいっぱい沈んでいる。海底の地形も変わってしまった。果たして前のように漁や養殖ができるのか、港は元通りになるのか、更に放射能の影響はないのか…不安なことは山積みさ。

娘二人は仙台でアルバイトして協力して何とか生活している。地震で就職先が潰れて仕事が無くなってしまったんだ。ここに呼んだって仕事が無いからね。」

 

『Mお婆さん』

「いっぱい悲惨な事を経験したよ。家も船も全財産流されて、写真一つ、服一枚残ってないの。着の身着のままで避難所で何カ月も過ごしたのよ。ここでは沢山の人がいっぱい泣いたの。海に流された遺体を、自分の力では助けられなくて「すまないね、すまないね」って両手を合わして泣いた漁師さんもいたよ。未だに家族の遺体が発見されていない人だって沢山いる。みんな海にもって行かれたのさ。」

 

歌津町仮設住宅は、総世帯数が25軒余りの小さいものです。

市の中心地近くには、もっと規模の大きい仮設住宅があるそうですが、歌津町では歌津崎の高台の狭い土地に、やっと仮設住宅が建てられました。

買い物するにも、一番近くの店まで車で30分以上かかる不便な土地です。歌津崎は起伏の多い複雑な地形で、ラジオ電波が入りづらく、支援物資や行政のサービスに関する情報がなかなか入手出来ないと言います。支援物資が中心地の仮設住宅に届けられるという情報に、いざ駆けつけても、その時にはもうモノが無くなって何も貰えなかった、という事が度々あったそうです。仮設住宅の造りも様々で、きちんとした鉄筋の広い仮設住宅もあれば、歌津町のようにプレハブを長くつなげた簡易なものもあります。仮設住宅によって、受けられるサービスの格差がとても大きいと感じました。

 

「家族の命だけは無事だった。本当にそれだけは幸いだった。」

家も船も車も全て失い、狭い仮設住宅で不便な生活を強いられている。そのお二人が口を揃えてこうおっしゃいました。

「前よりも小さくていいから、また家を建てて、家族で住みたいなぁ。そして海に出て働きたい。海で働けさえすれば、俺達は満足なのさ。家族で食えるだけ稼ぐのでいいから、また元のように暮らしたいなぁ。」

 

その希望が叶いますよう、強く願わずにはいられませんでした。

テーマ:感じていること   2011/10/28   片岡